JR山手線「高田馬場駅」に不動産調査で参りました。
今回の調査物件の所在地は高田馬場2丁目です。
このエリアには小姓組土屋家の屋敷があったようです。
小姓組は徳川将軍の馬廻衆(親衛隊)としての高い格式を持ち、軍事部門の職制だったようです。
馬周衆ということは騎馬の武士ということになろうかと思いますが、思い起こしてみますとこの近くには馬術訓練の高田馬場があったことが関係しているのかもしれません。
当時の高田馬場は高田馬場2丁目から少し先の西早稲田三丁目、「早稲田通り」と「茶屋町通り」で囲まれたあたりとなるようです。
1:「高田馬場」の歴史 ~ 高田馬場・早稲田 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産 (smtrc.jp)
ここまでの流れですと武のエリアのようなイメージとなりますが、高田馬場2丁目先の神田川沿いには大名の下屋敷が連なっていたようです。下屋敷は別邸や散策・接待の為に作られた庭園もあったようです。
よってその跡地が明治以降の要職者の邸宅や別荘~現在の甘泉園公園や大隈公園となっており、文武や文化の香る街のイメージが出来上がったのかもしれませんね。